吉野川下流の橋巡り
2008.03.01
川内町から南に向かうと、吉野川の河口近くに出る。ここには様々な橋梁があって、吉野川にかかる橋を河口から源流まで全制覇・・・なんて、何の役にも立たない自由研究へのチャレンジャーも過去にいたようである。そういう目的は無くても、自転車等に乗ってのんびりと走る自然探し田舎巡りの旅には丁度いいかもしれない。ここでは石井町から河口へ向かう下流域の主な橋を紹介する。
まずは、石井町の『吉野川情報館』。ここは、吉野川の南側の土手に造られた『石井町防災ステーション 三郎広場』の一角にある。「三郎」とは恐らく吉野川の別称「四国三郎」からとったものであろう。館内は吉野川の源流から河口に至るまでの資料の掲示がなされている。四方の壁の一角が大型のマルチスクリーンになっているが、折角のスクリーンで民放のワイドショーが流されていたのがちょっと辛い。
ここから下流に1Kmほど下ると、『高瀬の潜水橋(1954年竣工)』がある。「潜水橋」とは、いわゆる「沈下橋」のことで、洪水時には川に沈むために水の抵抗を減らすように造られた、手すりや欄干のない石造りの橋のことである。四万十川同様、吉野川には昔から幾多の潜水橋がかかっていて、今回、付き添い役で取材に同行してくれた高松駅M助役(この人も吉野川中流の町出身)によると、川で育った子供にとっては、自転車でよそ見をして、潜水橋から落っこちた経験は一度や二度ではない・・・ということだ。それにしても吉野川の下流ともれば潜水橋も557メートルの長さに及ぶ。自動車の待合いも1分程度が必要になる長さである。
更に数Km下ると、大きな石をうず高く盛った『第十堰』が現れる。これは、昨今、「環境破壊」や「予算の無駄使い」のシンボルとして、この地域の政策論争の震源地となっている構造物である。地元の論争について他所者が語る資格はないが、景観としては確かに異様な感じを受ける。これから重ねていく歴史という名の長い年月が、この石盛りの真の評価を下すのであろう。
もっと下って佐古近くに来ると、JR四国高徳線の『吉野川橋梁』が見えてくる。鉄道構築物マニアのM助役によると、この鉄橋は、日本初の3径間連続トラス橋(橋脚4本(3径間)の上に一本の橋桁が架かる構造)であり、その長さ946mは、1935年の竣工当時には全国の鉄橋のベスト3に入る長大鉄橋であったそうだ。難しい技術のことはよく分からないが、もう75年も掛け替え無しで使われている名鉄橋である。
徳島市内に入ると『国道11号線吉野川大橋』である。ここは徳島市の幹線道路で、片側三車線の近代的な橋である。更にここから下流を見るとバイパス道路として、さらにもう1本の自動車橋が建造中である。いずれにしても吉野川ほどの大河になると、そこに架かる多くの橋そのものが、川の歴史を物語る語り部となっている。
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「吉野川情報館」
「吉野川情報館」
「高瀬潜水橋 車は交差できない。」
「高瀬潜水橋 車は交差できない。」
「第十堰」
「第十堰」
「高徳線吉野川橋梁」
「高徳線吉野川橋梁」
「片側三車線の吉野川大橋 (国道11号線)」
「片側三車線の吉野川大橋 (国道11号線)」
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