[町とともに生きる決意]
石鎚山系の西に広がる内子町は、南予を代表する大河である肱川の支流の小田川に抱かれた山間の盆地である。江戸時代より木蝋(もくろう ハゼの木の果実から採取した蝋で、蝋燭やお相撲さんの髷の鬢付け油に用いる)の製造で栄えた町である。目立ちはしないが、かつては南予の小藩であった大洲藩の財政を後ろから支えていた重要な土地である。
『酒六酒造』は大正9年に8つの酒造家が集まって創業された。昭和16年に株式会社となったときより、代々この内子町で地域に愛されて酒造りに勤しんでいる。
第6代目の当主である武知直之さんは昭和43年に松山で古くから続く家系に生まれた。若かりしときはソニーに在籍し世界中の生産現場で製造情報システムの管理とコンサルタントの仕事にとりくんでいた。縁あって酒六酒造の次女である今の奥様と出会いゴールイン、幸せな結婚生活を送っていた。ところが、平成22年に時の酒六酒造第4代目社長である奥様の父上が急逝。当主家である酒井家はすべて女姉妹であり、後を継げる人は奥様一人であった。武知さんは現役の大企業の社員であり実家では長男でもある。幾多の葛藤を経て志を新たにし、町に代々続く酒蔵を残したいという地元の後押しもあって酒六酒造を継ぐことに決めたのである。あれから2年、奥様と二人三脚で地元内子町の酒蔵として誇れる日本酒を造ることに精魂を傾けている。
武知さん夫妻の酒造りのポリシーは、「人生の喜びと切なさに寄り添い、人生を実り豊かなものにすること」であるという。人生の喜怒哀楽や節目節目の御縁に対峙しながら夫婦で力を合わせて苦難を乗り越えて来て、そしてこの町でこの酒蔵を守っていこうとしている御主人と奥様との心の風景なのであろう。これからは酒蔵を愛してくれた周りの人々への恩返しを人生の目標として、100年間続いてきた酒六酒造を家族的経営を保ちながらもう100年間存続できる会社にすることが使命だという。志が人を創るのである。
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「内子の町並み保存地区。飾り立てることなく生活の場としての町並みの良さを残している。」
内子の町並み保存地区。飾り立てることなく生活の場としての町並みの良さを残している。
「町の中心部から歩いてほどなくの場所に位置する酒六酒造」
町の中心部から歩いてほどなくの場所に位置する酒六酒造
「昭和初期の風情をそのまま残している建物」
昭和初期の風情をそのまま残している建物
「事務所は昔の学校の職員室のような趣がある。」
事務所は昔の学校の職員室のような趣がある。
「御当主御夫婦。夫婦で力を合わせて蔵を盛りたてていく。」
御当主御夫婦。夫婦で力を合わせて蔵を盛りたてていく。
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