サラダの町 『池田』 (後日談)
2007.12.18
14番札所『中和酒造』さんの一言欄の「池田町のカタカナ住所表示」の後日談です。
取材の際に16番札所『天真』の真鍋社長と同じく17番札所『真野武酒造』の真野女将さんにも、池田の町のカタカナ表記について聞いてみました。真鍋社長の家は何代にも亘って池田に続く家、もちろんご本人も生まれも育ちも池田。一方、真野さんは坂出から嫁入りに来るも今は地元商工会の女性部長。お二人共、地元への愛着と見識はそんじょそこらとは段違い。役場でも分からなかった質問に「恐らく・・・」と別々に答えて頂きましたが、何と!お二人の答えが全く一致。ということは、真実はここにある。
昔々
明治初期の日本ではカタカナは非常に先進的な表記方法でした。学校の国語教科書も「ハト、マメ、」で始まりました。これを見た池田町の人は「これからの日本は都会的センスではカナ表記になる。」「カッコいいので全国に先駆けて取り入れよう。」と、古来からの由緒ある地名を全て今風(当時)の呼び方でしかもカタカナ表記の地名に変えてしまったそうです。
結果、トンデモナイ見込み違い。あとに続く者なし(笑)。・・・で、その歴史は封印されてしまいましたとさ。
・・・ということらしいですが、これからしても池田町民は今も昔も「新し物好きで、しかもイベント好き」ということですねぇ。このぉ、お調子者〜。とんだ謎に首を突っ込んじまったぜぃ。