[水は違えど目指すは同じ]
『土佐酒造』のある土佐嶺北地区は、四国の真ん中、早明浦ダムのあるところに位置している。海抜は250〜300mと思ったほど高くはなく割に温暖。棚田もあちこちに見えるような気候の穏やかな地域。ただ雨の量は四国で一、二を争い、雨粒の大きさからして異常に違うのではないかと思われるほど。蔵のある寺川地区は、吉野川の支流の合流点で、昔から地域の物資が集まって集落を成している。水は蔵の裏山からの湧水。口にするとほのかに甘みが残る。 ここで明治10年より酒造りを営む『土佐酒造』。蔵の名前にもなった土佐出身の漂泊の詩人『大町桂月』の遺品をや資料を飾る庵『桂月館』が、ずっとこの酒蔵の成り立ちと生き様そのままであった。
近年、代替わりした現松本社長は前澤田当主の姪の息子にあたり、生まれ育ちは香川県であるが、幼い頃よりこの酒蔵の親戚に可愛がられて育った縁で経営を引き継ぎ、方針を新たに海外に目を向けているということである。
製造責任者の大原さんは先代当主にスカウトされて来た製造責任者であるが、なにを隠そう、今ではたった2名になってしまった地元高知県の『土佐杜氏』の一人である。 大原さんは土佐山田町で生まれ育ち、蔵人から杜氏となった。その後、物部川水系の香美郡や仁淀川水系のいの町で酒造りをしていたが、これまたいろいろな縁で、今ではこの嶺北地区にただ一つ残る酒蔵で吉野川水系の水を相手に酒造りをしている。目指す酒は今も昔も「呑み飽きしない土佐の酒」。今は新しい社長の下でトータルとして酒の種類に幅を持たせながら、若い社員杜氏に土佐杜氏の技術を伝えようと日々勤しんでいる。 趣味は子供の頃からの川釣り。酒造りのオフシーズンは毎日のように蔵の近くの大河で釣りを楽しんでいたという。奇しくも物部、仁淀、吉野と四国を代表する一級河川の近くの蔵で仕事をしてきたことは、単に酒造りの水を求めての理由だけではなさそうだ(笑)。
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「のどかな嶺北地区 蔵の遠景」
のどかな嶺北地区 蔵の遠景
「昔ながらの酒蔵である」
昔ながらの酒蔵である
「蔵の名前となった大町桂月の記念館である『桂月館』」
蔵の名前となった大町桂月の記念館である『桂月館』
「二人だけになった土佐杜氏のうちの一人 大原杜氏」
二人だけになった土佐杜氏のうちの一人 大原杜氏
「事務所を仕切る川村さん」
事務所を仕切る川村さん
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